2018年2月23日金曜日

姫路の話

じいさんは姫路生まれであるが、4人兄弟の4番目であったため家を出た。昔の家ではよくあることである。実家は大きな家だったらしく、たくさんの小作人を使って田畑を作っていたらしい。何十丁(町)かの田んぼと山が4つか5つかと言っていたが、1丁(町)がどのぐらいの大きさか分からんので、私は「ふうん。そりゃすごいな」とか適当な返事をしていた。1丁(町)が0.99ha、すなわち約1haと知ったのは随分後のことであり、どれだけの田畑を持っていても興味がなかったのである。

うちの家系は姫路の殿様から苗字帯刀を許された由緒正しい家柄だと言っていた。姫路の殿様が本多忠刻で名君だったとは聞いたものの、千姫の話が出て来ないので、どうも嘘くさい。よく考えればたかだか農民じゃないか。きちんと年貢を納めてたので苗字帯刀を許されたのと違うんかなあ。農民から見れば光栄なことでも殿様から見ればどうでもいいことなんていくらでもある。苗字帯刀を認めたところで殿様は損も得もないのである。母は今でも苗字帯刀とか言ってるが、実際に本家に行ってみるとそんな話は出て来ない。だいたいが、本家と付き合いがあるのが私だけなのに・・・。

さて、じいさんであるが、認知症が入ってくると姫路の話ばかりをする。私が何か話をしていても、いきなり「姫路の家は・・・」と割込んでくる。私はこれを「じいさんのカットイン」と呼んでいた。いくら止めても効果なく、息継ぎの間にもカットインしてくる。「川があってな・・・」何の話か理解できない。どうも近くを流れていた夢前川のことらしい。続けて「街道沿いにな・・・」山陽道のことらしいが姫路のどこを通っていたのか知らない。とにかく軽度認知症のじいさんの話は謎である。何を言ったのかはすっからかんと忘れてしまった。本家はまだ姫路にあるので行った折にそのような話をしてみたが、首をかしげておられた。(初めて本家に行ったのは中学3年の時である)

姫路城


0 件のコメント:

コメントを投稿