2018年2月22日木曜日

じいさんと太平洋戦争

じいさんがボケかけた頃、私は中学生だった。何回か太平洋戦争の話を聞いたことがある。今伝わっていることとはかなり違うが、従軍慰安婦も強制労働も問題となっていなかった時代である。じいさんは朝鮮のとある鉱山の管理をしていたらしい。確か市役所に勤めていたが、戦争のために他の企業の人員不足のために駆り出されたらしい。官民一体となっていいかげんな人事をやっていたようだ。

私が言うのもなんだが、じいさんは大変いい人だった。じいさんの鉱山では休憩や休日も与えていたし、給料もそれなりに払っていたらしく、問題も起きなかった。但し、他の鉱山に比べればの話である。働いているのは朝鮮人(とじいさんは言っていた)ばかりで日本人はいなかった。この頃は朝鮮半島に住んでいた人は朝鮮人と言っていた。韓国という国がなかったのだから当然である。

日本が敗戦となったとき、じいさんのところで働いていた朝鮮人は、率先してじいさんを港まで送ってくれたらしい。それでじいさんは日本に帰ってこれたが、過酷な労働をさせ給料も払わなかった日本人の管理者は軒並み殺されたと言っていた。

引揚船(舞鶴)


関係ない話である。
ずっと後になって、父やばあさんから聞いた話なのだが、朝鮮の港では子供は売り飛ばされ、女は犯されということがずっと起こっていたらしい。日本に帰ってきて堕胎数が激増して、産婦人科は寝る間もなかったと聞いた(大袈裟ですが)。

父は満州とソ連の国境にいて前線で戦っているといっていたが、実は軍の経理や物資調達の業務だったらしく、一番後ろにいたらしい。一番逃げやすいところにいたのと、実際は戦わずに逃げている間に敗戦となったため、戦死せずに済んだ。父は従軍慰安婦については、「俺のところにはいなかった」といっていたし、「朝鮮の日本軍は朝鮮人やった」とか「売春宿はどこにでもあった」とも言っていた。日本でも売春OKの時代だ。月給300円の売春婦がいてどうだというのだ。(初任給50円の時代、今でいうと月給120万円ぐらいかな)

じいさんもばあさんも父もみんなあちらの世界へ逝ってしまったので、真実はわからないが、こういった話を集めるような調査もせず、金を払い続ける政治家は自分の家を売ってでも韓国に金を払って頂きたい。私は自分の親の言うことを信じるので、歴史の真実は韓国にも日本にもないと思うからである。

まあ、介護とは関係ないけどね。


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